2010年2月3日水曜日

ボスニア内戦 民族紛争の真実 

ボスニア内戦 民族紛争の真実 


詳細:引用
ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニ ア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナと いう 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されま した。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり 、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボ スニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロア チア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もあり ました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエ ボでした。 サラエボには、モスレム人(イスラム教徒)が主導するボスニア政府の本拠地がありまし た。 サラエボは周囲をセルビア勢カに包囲され集中砲火を受けていたのです。 サラエボの町は丸ごと強制収容所と化し、何の罪もない一般市民が犠牲者の大半を占めま した。


町中の公園や空き地が墓地に変わり3民族の人たちが共に眠る・・・
『私はボスニア人だ、セルビア人もイスラム人もクロアチア人も好きだ、問題は政治家たちだ、彼らがここ戦場にした、聴こえるだろ、彼らの音楽が』というピアニストのコメントが心に残った。




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