2010年6月23日水曜日

スターリン遺産“発火” キルギス 民族無視の国境画定

スターリン遺産“発火” キルギス 民族無視の国境画定
6月21日7時56分配信 産経新聞

中央アジア・キルギス南部でのキルギス系住民とウズベク系住民の民族衝突は20日で発生から10日が過ぎた。ウズベク系を中心に自宅を追われた住民は40万人とみられ、死者数は公表されている10倍の1900人にのぼる可能性が出ている。旧ソ連地域の「盟主」を自負してきたロシアも介入には及び腰だ。旧ソ連の小国を人道危機に追いやったものは何か。(モスクワ 遠藤良介)

  [フォト]ウズベク系住人「キルギス人は私たちを皆殺しに…」。

 ロイター通信によると、隣国ウズベキスタンには約10万人のウズベク系難民が逃れたほか、キルギス側の国境付近でも約30万人がテント村などに収容されている。水や食糧の不足は深刻で、国連は一連の騒乱で100万人以上が被害を受けたとし、7115万ドル(約65億円)の財政支援を呼びかけている。

 南部の主要都市オシでは銃声こそ散発的になったものの、残留したウズベク系男性らが居住区にバリケードを築くなど一触即発の状況が続く。臨時政府は27日に憲法改正案の是非を問う国民投票を計画しているが、その成否も危ぶまれている。

 ■モザイク地帯

 今回の衝突が起きた経緯について、多くの専門家が「キルギス南部には民族対立を容易に挑発できる土壌があった」との見解で一致している。根底には、スターリン期の1920年~30年代に人工的な「国境画定」が行われ、キルギスと近隣国の民族や国境が複雑に入り組んでいることがある。

 モスクワ国際関係大のグセフ上級研究員は「オシ地方にはもともとウズベク民族が住んでいたが、それが意図的にキルギス(・ソビエト社会主義共和国)に編入された」と解説する。キルギス全体では約15%にすぎないウズベク系住民が、南部の都市部では半数近くにのぼる理由だ。

 当時の「国境」画定が依拠していた原則は、民族や階級、職業を超越した「ソ連人」の創出である。各行政単位には工業も農業も含まれ、諸民族は融合するべきだと考えられた。大まかにみてウズベク民族は定住農耕民、キルギス民族には遊牧民の性格が色濃く、「経済的に優位に立つウズベク系はキルギス系の定住化を助けることを期待されていた」(グセフ氏)。

 しかし、ウズベク系の経済的優位はソ連崩壊後は逆に加速する。ウズベク系実業家の出資する大学が真っ先に襲撃を受けたことにも、経済格差をめぐる両民族の複雑な関係が表れている。

 ソ連当時の行政単位が「独立国」になるという、だれもが想定しなかった事態に悲劇の発端がある。 

 ■前大統領派関与?

 一方、キルギス系住民も長らく国の南北で氏族が二分され、対立している。4月には北部勢力を中心とする反政府騒乱で臨時政府が発足し、南部出身のバキエフ前大統領がベラルーシに追われた。このため、南部のバキエフ派があえて民族対立と混乱をたきつけ、臨時政府の無能ぶりをさらして権力奪還を狙っているとの見方も強まっている。

 「キルギス南部ではヘロインが生産され、オシと周辺はアフガニスタンや自国産麻薬の流通経路となっている」。グセフ氏は「バキエフ前大統領とその一派は麻薬ビジネスにかかわっていた。権力の喪失はその資金源を失うことでもある」と指摘し、バキエフ派や麻薬関連の犯罪集団を騒乱の背後に見ている。

 ■露の指導力低下

 キルギス系とウズベク系は90年にも衝突して数百人の死者を出し、ソ連の治安部隊が派遣された。しかし、ロシアは今回、臨時政府の要請にもかかわらず平和維持部隊派遣を拒否し、人道支援にとどめる慎重姿勢を見せている。旧ソ連7カ国の集団安全保障条約機構(CSTO)も、ヘリコプターや警察装備品の提供を決めたにすぎない。

 その理由として、有力外交誌「グローバル政治の中のロシア」のルキヤノフ編集長は「部隊派遣の法的基盤がないこと」を挙げる。 CSTOは“外敵”からの攻撃を想定したものであり、臨時政府にはまだ「正統性」がない。不用意な介入はウズベクなど近隣国との関係悪化を招く。

 「ロシアにはキルギスのような状況で平和維持にあたる部隊も経験もなく、CSTOは完全に“仮想”の組織だ。ロシアは自らが望むほどリーダーシップを発揮できない現実を露呈した」。ルキヤノフ氏は「内政課題が山積する欧米や中国もキルギスにはかかわれない状態だ」とし、「キルギスが国家崩壊すれば、広範な地域が(イスラム)過激派の温床となる」と警鐘を鳴らしている。

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